🌇**『昨日のよう|夕暮れの記憶に浮かぶものたち』**


夕暮れの空を見上げると、ふと、立ち止まってしまうことはありませんか?

それまで歩いていた時間のリズムが、ゆっくりと変わっていくような感覚…。

声が遠のき、影が伸び、日が沈む。

夕方という時間は、どこか “昨日”とつながっているような気がします。

思い出すわけでもなく、忘れたわけでもない。

ただ、どこかに置いてきたものが、空の色に染まって揺れている。

そんな夕暮れに、この曲はふと現れました。

『昨日のよう』――

記憶の粒が音になって、僕のもとに戻ってきたのです。




🏡「記憶のスケッチ」


子どもの頃の「夕方」は、とても特別な時間に思えました。

空は赤く染まり、田んぼ道からは蛙の声が響きはじめる。

遠くで野良焼の煙が立ちのぼり、どこかの家からカレーの匂いが流れてきます。

靴のまま裸足で走りたくなるような、帰りたくないような、

でも、誰かに呼ばれているような気がして。

夕暮れというのは、**「終わりのはじまり」**みたいな時間でした。

家に灯りが灯る少し前、「晩ごはんよ〜」という母の声が聞こえる頃、

僕はよく立ち止まって、空を見ていた気がします。

そのときの空の色や匂いや音が、今も心のどこかに、確かに残っているのです。



🎼「歌詞と音の構成」


『昨日のよう』というタイトルの通り、

この曲は「思い出そうとして出会った記憶」ではなく、

ふと立ち止まった夕暮れに、音として浮かび上がってきた感覚をもとにしています。

今回は、そのままの記憶の温度を大切にしたかったため、

ドラムやベースといったリズムの骨格をあえて削ぎ落とし、

ギター・ピアノ・そしてチェロの3つだけで音を重ねました。

どこか曖昧で、でも確かにそこに在るような――

音の一つ一つが記憶の風景を呼び覚まし、そっと包み込んでくれるような感覚。

特にサビの部分には、僕自身の中でも強い思い入れがあります。

少年の頃の一瞬と、今の自分が、音のなかで重なり合うような場所。






記憶の坂道を登って

誰の姿もない階段。ただ、そこにある風景。



「遠く、風景の向こうへ」

広がる景色をただ見つめる。この場所に立った記憶ごと、風景の中に溶けていく。



「曲がりくねった道の先に、夕陽は沈む」

暮れゆく空、日常へと続く坂道。静かに訪れるクライマックス。



昨日のように、あの道を

夕暮れに鐘が鳴る。影が長く伸びて、かくれんぼはもうおしまい。

家路へと向かう小さな背中に、あの日の自分を重ねていた。




いつか見た坂道も、夕陽に染まる街並みも、すべては心の奥に静かに残っていた。
それはまるで――昨日のように。



夕暮れの空には、言葉にならない気持ちが、そっと浮かんでいる気がします。

それはきっと、誰にでもある「昨日のような記憶」。

もう戻れないけれど、どこかにちゃんと残っていて、

ときどき、音や匂いや空の色に乗って、僕たちのそばに現れる。

この曲をきっかけに、もしあなたのなかにも、

そんな風景がひとつでも浮かんだなら、心からうれしく思います。

次回のブログでは、四万十川の流れを改めて辿るお話を。

森のピアノに続くインスト曲『SHIMANTO〜源流〜』の構想と、

今まさに言葉を探している新たな歌のはじまりについて、

少しだけ、水面をなぞるように綴ってみようと思います。



【告知・リンク】

🎧 楽曲視聴はこちらから

https://linkco.re/R98QX8x0


📷 関連ブログ・作品紹介

『群青の記憶』:幼少期の空と記憶をたどる楽曲

『森のピアノ|静けさと音のあいだに宿るもの』


📅 次回の配信ライブ予定

→ 2025年8月27日 20時開始 配信テーマ(夕暮れの記憶)


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